体は治してあげられない。けど、心は治してあげられる。

なんて手強い患者さんだろう。
入職1年目の夏。私はある患者さんの対応に、悪戦苦闘していました。

その方は、Aさんという60代の男性。
脳梗塞で倒れ、救急車で運ばれてきました。
幸い命に別状はなく、症状も薬で治療できるレベル。
ただ右半身は完全な麻痺に陥っていて、
痛みを与えても反応しないほどの状態でした。

しかし麻痺以上に深刻だったのが、こころの問題。
「Aさん、調子はどうですか」「………」
「Aさん、起き上がりましょう」「………」
私が何を話しかけても、いっさい無視。
とてつもない絶望が、Aさんのこころを支配していました。

私は、ただただ、声をかけ続けました。
リハビリの必要性をていねいに説明する。
ご飯や排泄のときは、起きるよう呼びかける。
何かの用事で部屋に行くたび、今日やるべきことを伝える。
相変わらず反応はありません。
でもこのままでは、Aさんは寝たきりになってしまう。
Aさんが病気と闘っているように、
私もくじけてしまいそうな自分と、必死に闘っていました。

すると、一週間くらい経過したころ。ほんの少し、
Aさんに変化が起こりました。
自分で体を起こして、ご飯を食べてくれたのです。
Aさんの体が動いた!Aさんのこころが動いた!
私はより積極的な声かけを続けました。
そうしたら、Aさんがみるみる変わりだしたのです。

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日中、起きるようになりました。車椅子も、自分で動かしはじめました。
笑顔が出るようになりました。話しかけてくれるようになりました。
そして1ヶ月が経とうとしていたころ。
自ら、「リハビリをやりたい」と言い出してくれたのです。

それからは、すべてが順調に進みました。
「今日はリハビリ何時からかな?」
「やっぱりベッドの上より外のほうが眺めがいいね」
はじめて会ったころがウソみたいに、
明るくて前向きなAさんが、戻ってきたのです。

あっという間に時は流れ、Aさんがリハビリ病院に転院する日がやって来ました。
「本当にありがとう。リハビリ、がんばるね」。
最後のあいさつ。Aさんは、泣いていました。
その姿に、私も目頭が熱くなりました。

正直、Aさんの麻痺はよくなっていません。
今後も、大きな回復は望めそうにない状態です。
けれどAさんは、現実をしっかり受け止めてくれた。
そして前に進もうとしてくれた。
それが、私はとってもうれしかった。

ただ症状や状態を診るだけじゃない、脳外の看護の醍醐味。
私はそれを、Aさんに教えてもらいました。