震災に負けない街をつくる。それも、医療人の仕事だと思う。

2011年、3月11日。
私の仕事や、考え方を大きく変える出来事が起こりました。東北を襲った、大震災。私たちの病院からも、多くのスタッフが物資と共に現場に向かいました。そこで私は、テレビでは報道されない、様々な問題を目の当たりにしました。

たとえば救援物資。
私が訪れた避難所には、大量のミルクが届けられていました。でも、そこにいるのは高齢者ばかり。これでは意味がありません。衣服にしても、男性ものと女性ものの比率が合ってない。医薬品も、物資の仕分けができずうまく活用されていませんでした。

私たち外部の人間は、モノを送っただけで助けた気になっている。だけど実際は、必要な場所に必要なモノが届いていなかったりする。震災が起きたあとの対応。それは街全体が、事前にもっと考えなくちゃいけない。私は東京に戻ってすぐ、病院の災害対策委員メンバーと話し合いました。

災害対策委員は、災害時のマニュアル整備や停電試験など、万が一のとき患者さんの安全を確保できる体制をつくるプロジェクト。看護師や施設課のスタッフ、作業療法士など、様々な職種のメンバーが集まり、定期的な活動をしています。

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東京は、いつ直下型地震が起きてもおかしくないと言われている。特にこの病院のある地域は、川に挟まれた立地。橋が壊れたり、がれきで通れなくなったりでもしたら、とたんに陸の孤島になってしまう。食料が届かない。水が届かない。ガソリンが届かない。病院にいる患者さんだけでなく、地域に住む人たちも、苦境に立たされます。病院に備蓄する物資をふやしておく。それも重要。でも私たちだけでは限界があります。もっと街全体で、どうするべきかを考えていかなくちゃいけません。

たとえば小売店に残された食料を、均等に配給する仕組みをつくる。がれきで移動できない人たちに、物資を届ける仕組みをつくる。今は、みんなでいろんなアイデアを出しあっている段階です。今後はこれを、近所のコンビニや学校、消防庁などとかけあって、形にしていきたいと思っています。この八王子を、もっと災害につよい街にしていくために。

正直、どこまでできるかはわかりません。でも大切なのは、発信することだと思うんです。自分なんてしょせんただの看護師だから。そう思っていたら、何も変わらない。北原ではたらいていると、この考え方がふつうになります。なぜなら、理事長がそういう人だから。まわりも、そういう人ばかりだから。学生のころの私が、今の私を見たら?きっと、驚くでしょうね。