ゴミはゴミ箱に捨てる。
履物を揃える
おもちゃで遊んだら、元の場所に片づける。
私たち日本人は小さい頃から両親に繰り返し学び、そしてそれらは習慣となりました。
カンボジアに来て一番戸惑ったのは、さまざまな「基準」が日本とはかけ離れていること。
ただ、それは必ずしも「できていない」のではなく、「習慣が違う」という事を活動を通し学びました。
少し前まではココナッツや果物の皮が多かったカンボジアでは、その辺に捨ててもそれらはまた自然に返ります。家の中と外の区別が日本程明確ではないため、裸足で外を歩く事も別に悪い事ではないのです。
急速に人工物が増えた今、その辺にポイ捨てしてしまえば、それは環境汚染になりますし、病院の中を裸足で歩くと思わぬ怪我を負いかねないため、もちろん、状況に合わせた行動変容は必要です。しかし、「日本との違い」にばかり目がいっていた私は、「あれもこれも変えないと」と一人よくわからないモヤモヤ感を抱え、「カンボジアを理解する」という一番大切な事を忘れていたと思います。
「例え言葉が通じなくても困っている人には躊躇なく声をかける」「高齢者を敬い、誰にでも優しい」「病気の家族を献身的にケアをする姿」など、活動を通し多くの事を学びました。ハッとさせられる事も多かったです。
「全ての事には理由がある」
帰国してからカンボジアで過ごした日々を思い返すと、こんな当たり前の事に気づく事ができたのも、日本以外の環境を体験したからだとつくづく思います。人によって得るもの、感じる事は違うと思いますが、少なからず、私自身は人生のターニングポイントになりました。
もしも海外で活動してみたい、今の生活を変えたいなど、心の奥でモヤモヤしている方がいましたら、いつでもご連絡ください。
もしかしたら新しい自分に会えるきっかけになるかもしれません。