突然ですがみなさん、“医療”と聞いて想像されることはどんなことでしょうか?
「検査や診察をして服薬や点滴をすること」
「病院に入院して治療すること」
「リハビリのスタッフとリハビリを行うこと」
などなどを想像されるのではないかと思います。
もちろんこういったことはとても大切なことで、必要な時期に検査や診察をし、治療を行い、最善を尽くす必要性があります。
ですが私たちが考える医療は、こういった基本的な医療にいろんな“ひらめき”をプラスします。
「病院ではないところで検査をしたり、診察をしたら検査の結果が違うのでは!?」
「住み慣れたまちや家で治療をしたら、より前向きに取り組めるのでは!?」
「リハビリのスタッフ以上に、地域の若者と一緒にリハビリができたら、活力が出るのでは!?」
などなど、医療も視点を変えたり、多くの方の素敵なアイディアを合わせることで、無限に医療の可能性が広がります。
その一方で、医療というものはとても敷居が高いと感じられている方も多く、私自身も実はできるだけ近寄りたくない存在でした。
病気そのものの構造を理解する事の難しさ、難解な医療用語、患者と医療スタッフ間のコミュニケーション不足など、ここでは語りつくせないほどの課題がたくさんあります。
その中にある、ひとつの課題。
供給側の医療スタッフとそれを受ける需要側である多くの方。その両者間に見えない線引きがされてあることによって一方向のコミュニケーションが生まれ、誤解や情報の偏りなどが生じる場面を幾度も目にしたことがあります。
こういった課題は医療をいっそう閉鎖的にし、近寄りがたくします。それでは可能性は広がりませんし、いろんな方が触れ、考えが交わることでできるあらたなアイディアなどはなかなか生まれません。
医療にそれぞれが主体的に関わり、協業しながら課題解決していくことで生まれる…。
そんなことを、想い描き、そして形にする。それが、「医療のまちづくり事業」です。
きっとここに多くの方のアイディア、“ひらめき”加わることで、医療の敷居がぐんと下がったり、身近なものになったりするのではないかと期待を持っています。
そんな”ひらめき”の一例。
「医療」×「農業」
農地で行う農作業が、手のリハビリになったり、足腰を鍛えるトレーニングの場になったり。植物を育てるプロセスが、脳の賦活をする作業にもなるかもしれません。
「医療」×「IT」
電子カルテが単に情報を載せるだけのものではなく、アドバイスやアイディアまで出してくれたり、苦痛な医療評価を楽にしてくれたり。医療用ロボットが、飽きっぽい方のダイエット支援をしてくれたりなんて、これまでマンツーマンで行っていた、アナログな医療を変えてくれる一助になるかもしれません。
「医療」×「○○」。
こういったかけ算をすることで、もっとステキな医療の新しいかたちが生まれたらいいな!と心底思っております。
医療が、病気の治療だけではなく、「私の人生最高だった!」と言えるものに成長する。
そんなことを夢見て。
【東北ブログその1】