今回は看護師として現地で活動し、2013年3月に帰国した荻沼看護師へのインタビューです。
看護師 荻沼 久美子(おぎぬま くみこ) 2013年5月撮影
2004年 医療法人社団KNI入職。急性期病棟、回復期病棟、一般病棟、救急外来で脳外科看護の経験を積む。2012年9月よりカンボジアにて看護師として活動に従事。
(聞き手:NGO日本医療開発機構 個人会員 清水 眞理子)
―普通の看護師にはできない経験―
荻沼:脳外科急性期病棟の看護師としてスタートして早10年、色々な経験を積む事が出来、管理職としても尽力してきました。カンボジア・プロジェクトの話を聞き、このようなチャンスはないと思って手を挙げ、2012年9月からカンボジアに赴任しました。一から事業の立ち上げに関われることは貴重な経験です。
――とはいっても、最初はとまどいも多かったのではないですか?
荻沼:まずアポ取りから振り回されました。事業計画書を役所に提出する際、通訳を介しても完全にはこちらの意図が伝わらないもどかしさ、日本では半日でできることが1日、下手すると1週間かかってしまい、同じことを何度も繰り返さなくてはならない。最初は理解に苦しみ、通訳さんと衝突することもありました。きちんと詳細を詰めて結果を求める日本に比べ、カンボジアでは物事の進め方がアバウトで、議論が色々な方面に飛びます。それは単に言語の問題ではなく文化の違いだとわかり、相手の反応を見ながら次の言葉を選ぶようになりました。どこかを譲って妥協点をみつけることの必要性に気づきました。
―遠回りになっても真正面から攻めたい―
荻沼:施設の設計業者を選定する場合でも、日本のようにネットで検索、数社の見積もりをすぐ取って依頼とはいきません。仕事の質、早さ、その業者が信頼できるかどうかの見極めは、実際に依頼してみないとわからないですし、色々な場面で賄賂が横行していることも見聞きしました。お金を払えばすぐ解決できることがあるかもしれません。でも北原理事長はこの考えが大嫌いで、「我々は正攻法でいく」という信念をもっています。時間はかかっても焦らず、ひとつひとつ確実なものをつくっていく。そのようなやり方を理解してくれるカンボジア人はもちろんいます。
―看護師教育で考えること―
荻沼:現地では医療活動のみならず、医療従事者に対する教育にも力を注ぎました。2013年4月からはTechnical School for Medical Care(TSMC)でリハビリ科に次いで看護師養成科でも講義をすることになりました。最初は脳疾患に特化したカリキュラムを考えていましたが、現場の看護師を見ているとそれ以前の問題があることに気づきました。「看護アセスメント」というのですが、患者さんに何かが起こって、特定の症状が出た場合、特定の治療が必要と判断する、その経過をたどる上での知識が不足しているのです。
――現地医療者は注射などの初歩的な処置はうまくできますか?
荻沼:そういった技術は十分もっていますが、その注射薬がどのような薬なのかを知らずにただ打っています。薬にはそれぞれ副作用があるので、1.5時間ほどしたら血圧を測って確認するなど、注射をする際にはそのようなケアも必要なのです。患者さんの命を預かるその責任も理解してほしいと思っています。家族が24時間ついているので、看護師が患者さんのそばに行くことが少なかったり、点滴を合わせには行くけれど、1日2本落とすはずが1本しか落とさなかったなどの問題もあります。導尿したらお小水の量や色を観察し、混濁していれば感染かもしれないため、その経過を踏まえて医師の指示を仰ぐなどの処置後のケアも看護師の仕事ですが、現状ではそれが定着していません。またずっと寝ていると、おしりやかかとなどに褥瘡(床ずれ)ができます。日本の病院では体位交換を行っているので簡単には褥瘡はできませんし、褥瘡をつくるのは看護師の恥と教わりました。それがカンボジアでは、日本の場合ですと0.7%の確率でしか発生しない肘にまでできているのです。体位交換の有効性を知らないから、「そんなのは看護師の仕事ではない」と思っているようでした。24時間家族がいて協力が得られるのであれば、家族に教えることも必要かと思います。また、清掃の概念がなく何でも床に捨てる、入院患者さんのシーツ交換も専門業者がいるわけではなく家族が手洗いをする、おむつも高くて買えない、など衛生面の問題が山積しています。
――昨年のスタディーツアーでは、理事長がCT画像をみながら実際に病院でアドバイスをなさったとき、熱心にメモをとる現地医学生で二重三重の輪ができるという光景が見られました。
荻沼:学生さんは学ぶ意欲に燃えています。彼らが医療者として学んだ基本事項を共通認識として持ってくれれば、今まで仕方ないとか、こんなものだと思っていた常識を変えてくれるはずです。かつてクメール王朝時代、カンボジアは医療で最先端を走っていた国ですから。
―医薬品事情―
――途上国で生産されたジェネリックの粗悪品が出回っているといううわさを耳にします。市内の医薬品ストリートでは、素人目には市販薬がたくさんあるように見えました。
荻沼:中国、タイ製の信用ならない医薬品の数々が、普通に売られています。当NGOによる手術の際には薬のリストをもって一軒一軒まわって探しますが、それでも見つからない場合があります。たとえば糸一つとっても菌が繁殖しにくく、長期的な使用に耐えられるものは限られます。
――日本の製薬会社は援助だけでなく、輸出しないのですか?
荻沼:こちらからお願いしているのですが、まず高価である、手続きも煩雑で一つ入れるのに半年はかかるなどの問題があります。日本の医療用品の品質は折り紙つきですが、何か制約があるのか、流通しにくいですね。フランス製の薬は多くみられます。
―恵まれた日本の環境を再確認~後輩看護師へのメッセージ~―
荻沼:先日、日本で看護学生に会う機会がありました。我々のカンボジア・プロジェクトが学生の間にも広く認知されてきているのを実感しました。
私がカンボジアに実際行ってみたからこそわかったことは、日本であたりまえと思っていたこと、例えば重篤な患者さんにモニターがついていること、医師が常に待機していること、それらが実はとても恵まれているということなのです。途上国には十分な医療物品も薬品もない、医者もいない。看護師であっても、日本であれば医師がするような判断を迫られることもありました。指示に従うだけでなく、自分で考え行動し、そしてそれら自分の判断に常に責任を持たなければなりません。しかしそれは本来、途上国においてだけでなく、日本であっても、患者の命を預かる責任を背負う以上、多様な知識とそれらを適切に使うことの出来る柔軟性を持つことが、看護師という職にある者には求められているのだと思います。だからこそ、後輩には、看護師としてだけではなく、一人の人間として何ができるのかということを考えてほしいと思います。自らの限界、壁を決めないで、一歩踏み出すことで世界観が変わります。自分が何をしたくて、どう変えようとしたくて、そのためにどういう努力が必要なのかというプロセスがつかめれば楽しさがみつかります。これから多くの後輩看護師の皆さんが世界を舞台に活躍することを願っています。