医療のまちづくり「東松島プロジェクト」
北原グループは2012年から東日本大震災で被災地となった宮城県東松島市で本格的に事業を開始しています。
東松島の歴史と文化
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3.11の震災、何が起きたのか?
2011年の震災で東松島市民1,110人が亡くなり、24人が行方不明となりました。当機構が活動している野蒜地区では浸水高が最大10.35mと言われており、まさに町が津波に飲み込まれたのです。 野蒜地区に開業されていた2つ の医療施設は閉鎖され、これによ り野蒜地区は医療空白地帯となりました。 「野蒜ヶ丘」新たな生活へ 2016年5月、東松島市が整備した市内最大規模の高台防災集団移転団地「野蒜ヶ丘」にて一戸建ての宅地引き渡しが始まり、順次、入居が開始され新たな生活がスタートしています。ハードの復興は整ってきました。私たちに課せられている課題は、ここからハードをどのように活かし、真の復興を実現するかです。
医療は生活のそばに
東京都八王子市の「ヒーリングファシリティ」とは違い、野蒜に作る施設は病院ではなく、小規模多機能施設。北原グループの株式会社KMSI、医療法人社団KNI、NPO法人 日本医療開発機構が協力し、野蒜の高台に街の中心となる小規模多機能施設「北原ライフサポートサテライト」を作ります。
人々が明確な目的を持ち、食べるために協力して働き、良好な人間関係を保っていることやストレスが少ないことが、健康寿命を伸ばすことに有効というデータが出始めています。北原ライフサポートサテライト東松島では、土地の産業である「農業」、「牧場」などと連携し、この土地ならではの医療と文化を発信、提供していきます。
すでに北原ライフサポートクリニック東松島を拠点に開始している独自のプログラムでは、森を通り抜ける風を感じ、鳥の鳴き声に耳を傾けながら気持ちを落ち着かせたり、理学療法士によるボディーワークのレッスンやウォーキングを行ったり、時には木陰に吊るしたハンモックでひと休みしたりと、自然にからだを委ねていくことで、心とからだが変化していくことを体感することができます。日常的に接している森であっても、安心 してからだを委ねられる環境を整え、そして少しのガイドがあることで感じ方は変化するものです。人々の生活や文化と共に、私たちが提供する医療は存在します。東松島市で生活する方、市外から訪れる方、仕事で疲弊している方など、それぞれのニーズに応じたプログラムの内容やあり方について、実践を通した開発を進めています。