東北復興事業 医療のまちづくり「東松島プロジェクト」 北原グループは2012年から東日本大震災で被災地となった宮城県東松島市で本格的に事業を開始しています。 東松島の歴史と文化 人口約4万人。日本の東北地方、太平洋に面し、日本三景松島を有する風光明媚なまち“東松島”。宮城県中部、石巻市の西、松島町の東に位置する東松島市は平成17年に旧鳴瀬町と旧矢本町の合併により誕生しました。東北最大の都市仙台からは、JR仙石線で最短36分で移動でき、8つに区分けされた各地区に住民の自治組織である自治協議会を設けているのが特徴です。 市域の南側は太平洋に接し、北側は小高い丘陵地帯となっています。市の南西部では特別名所「松島」の一角を占める風光明媚な景観を楽しむことが出来ます。東北としては、気候が比較的温暖であり、積雪や風雨の少ない過ごしやすい地域です。震災前は、夏の野蒜海岸に約100万人の観光客が訪れ、民宿や近隣商店も賑わいを見せていました。また、東松島市は、古の文化を受け継いでいることも特徴です。松島湾内最大の島「宮戸島(東松島市)」にある里浜貝塚は、日本最大級の貝塚です。縄文時代より、森や川や海などの自然を敬い自然と共に生きる風習やコミュニティを生活の糧にする文化が根付き、今もそれが東松島文化の基盤になっています。 3.11の震災、何が起きたのか? 2011年の震災で東松島市民1,110人が亡くなり、24人が行方不明となりました。当機構が活動している野蒜地区では浸水高が最大10.35mと言われており、まさに町が津波に飲み込まれたのです。 野蒜地区に開業されていた2つ の医療施設は閉鎖され、これによ り野蒜地区は医療空白地帯となりました。 「野蒜ヶ丘」新たな生活へ 2016年5月、東松島市が整備した市内最大規模の高台防災集団移転団地「野蒜ヶ丘」にて一戸建ての宅地引き渡しが始まり、順次、入居が開始され新たな生活がスタートしています。ハードの復興は整ってきました。私たちに課せられている課題は、ここからハードをどのように活かし、真の復興を実現するかです。 医療は生活のそばに 東京都八王子市の「ヒーリングファシリティ」とは違い、野蒜に作る施設は病院ではなく、小規模多機能施設。北原グループの株式会社KMSI、医療法人社団KNI、NPO法人 日本医療開発機構が協力し、野蒜の高台に街の中心となる小規模多機能施設「北原ライフサポートサテライト」を作ります。 人々が明確な目的を持ち、食べるために協力して働き、良好な人間関係を保っていることやストレスが少ないことが、健康寿命を伸ばすことに有効というデータが出始めています。北原ライフサポートサテライト東松島では、土地の産業である「農業」、「牧場」などと連携し、この土地ならではの医療と文化を発信、提供していきます。 すでに北原ライフサポートクリニック東松島を拠点に開始している独自のプログラムでは、森を通り抜ける風を感じ、鳥の鳴き声に耳を傾けながら気持ちを落ち着かせたり、理学療法士によるボディーワークのレッスンやウォーキングを行ったり、時には木陰に吊るしたハンモックでひと休みしたりと、自然にからだを委ねていくことで、心とからだが変化していくことを体感することができます。日常的に接している森であっても、安心 してからだを委ねられる環境を整え、そして少しのガイドがあることで感じ方は変化するものです。人々の生活や文化と共に、私たちが提供する医療は存在します。東松島市で生活する方、市外から訪れる方、仕事で疲弊している方など、それぞれのニーズに応じたプログラムの内容やあり方について、実践を通した開発を進めています。 北原ライフサポートクリニック東松島 Webサイト