築かれた文化・風土・人。その中で活動していくために。

2025年問題。
皆さんご存知でしょうか・・・?

団塊の世代の方が、2025年には75歳になる年です。
75歳という年齢は、医療や介護の必要度が上がり、また認知症の発症率なども高まる年齢です。つまり、今まで一生懸命働いていた方々が一気に「受給者」になるということです。一方、支える側の働き盛りの人口は大きくは変わらない為、どんどん働き手には負担がかかり、2025年には1人の75歳以上の後期高齢者の方を、労働人口の3.3人が支える構造となります(国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口」2012年1月推計)。

医療における課題はとても複雑で、単に“医療費を削減する”や“診療報酬点数を下げる”なんて、単一な対策では何も解決しません。

医療における社会的な課題を解決するべく宮城県東松島市では、医療機関に依存せず、その方自身が持つ自己治癒力を活かすためのプログラム開発を計画しました。

その名は、『北原ライフケアカレッジ』
写真①「ご自身とご家族の健康をしっかりとコントロールする」というコンセプトのもと、医療を日頃から身近なものにする、そんな学習プログラムを目指し、東松島へと伺いました。

しかし、私たちには、知らないことが多すぎました。

ここの地域の文化や大切にしてきたこと、生活習慣、自治組織の仕組み、人と人とのつながり、昔から根付く部落毎の問題、医療に対する認識。そして、そこに住まう方々の生活状況、精神状況は震災後から大きく変わることなく、先行きの見えない不安でいっぱいの方がほとんどでした。
OLYMPUS DIGITAL CAMERAその様な状況下で、北原ライフケアカレッジの初開催を2012年6月に行いました。

しかし、このような状況の中で「一緒に○○しませんか?」という提案は住民の方の生活にとってどこまで意味があるのか・・・。案の定、“健康教室”のような形で初開催には漕ぎ着けたものの、回を重ねるごとに参加者はまばらになりました。

「どうしたら人が集まるのか、なにをすべきか。」

いくら頭でこれらを考えても、なにも生まれませんでした。
私たちとしても何をすべきか・・・。
迷いながらもひとつの信念と言えるものがありました。

それは、“続けること”。

今、改めて思うことは、当時は「どうしたら続く事業になるか」を考えるよりも「とにかく、今やっていることを続けること」で精一杯でした。
何度となく立ち止まったり、企画日前夜まで案がまとまらなかったりすることも多々ありましたが、“とにかく”諦めずに続けてきました。

そして、この地域を歩き回り“私たち”を知ってもらうことも必要でした。
ここは東松島であって、八王子ではない。
ちらしは何千枚配ったかわかりません。掛け合っていただけないことも多々ありました。
地域の行事があれば、なるべく顔を出すようにもしました。

このような状況が1年ほど続いたでしょうか。
徐々に色々な情報が集まり始め、地域の方々とのつながりが生まれてきました。
「北原ライフケアカレッジ」という形を切り口に、ここの地域で活動していく上での大切な手応えを得ることが出来てきたのです。

そして次第に、様々なことが動き始めました。
北原ライフケアカレッジの中身は、また次回に。